大学生の終活というインパクト。
就活ではなく終活。
おそよ大学生とは縁のない言葉のはず。
昨夜。
ジャーナリングについてのnote文を読んでいたら、
下の方のおすすめ?似大学生の終活というタイトルが飛び込んできた。
ジャーナリングは「書く瞑想」と呼ばれるメモ術?の1種。
ずっと似たようなことはしているんだけど。
最近、「ゼロ秒思考」という方法もを知った。
ジャーナリングと似ているけどちょっと違う。
推奨する紙(ノートサイズ)よりも普段持ち歩いているa6サイズで実践している人はいないかな?と実例を探していた。
普段はなんとなく予想できる病気関係の文は避けているんだけと。
インパクトが強くてつい読んでしまった。
非常にこの人は頭が良いんだろうな。と思わせる読みやすくわかりやすい文章だった。
それもそのはず京大の学生さんでした。
白血病を患っていて、コメントなどからすでに亡くなっていることもわかった。
記事は触りを読んだだけ。
有料部分は読んでないです。
お金を出すのが惜しいのではなく、
病気関係の話は読んでる方が辛くなるので、
普段から避けている。
両親ともに癌で亡くしている上に、
20代の頃に兄弟を事故で亡くしていて、
子供を亡くした親を身近で見てきている。
だからそういう関係はあえて見ないようにしている。
物語でも基本的にハッピーエンド最上派。
それでも気になって見てしまった部分での、
御本人の行きた証を残したいという言葉と、
献血を呼びかける思いがあったのと、
どうにも心が落ち着かないから、
今、これを書いています
何の影響力もない、
きっと見ている人なんていないだろうブログだけどね。
献血に行けない人は献血を呼びかけての言葉もあったから、
皆。出来る人は献血してね!
頭が良くてピアノが弾けて、
多くの人に慕われていたような人でも死は平等に(残酷に)訪れる。
死にたいでは決してないけど、
たまに何の価値もない私なんかがなんで行きているんだろう?と思う。
こういうのは多分。誰にでもあることなんだろうけど。
そしてきっと「生」に意味なんてない。
それでも人は生ある限り生きていく。
まとまらないけど、そんなことをぐちゃぐちゃと思った。
ことばは沈黙に、
光は闇のなかに
生は死の中にこそあるものなり。
飛翔せる鷹の虚空こそ輝けるごとく。
「エアの創造」
大好きなゲト戦記の1巻目。
「影との戦い」の冒頭にあることば。
詩です。
記憶からなので、細部は正確じゃないかもしれない。
このことばを久しぶりに思い出しました。
本も出版されてます。
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